朗読音声<5分46秒>

第10章 侍教育に於ける中心軸とは

 

 ◆ 最重要視された「品格」

 

 侍教育で最重要視されたのは、品格であり、

外面的な知識や演説能力などの知的な事も重きを置かれましたが、

それらは不随的に扱われるものでした。

武士道が説く所では、本来、「知」の意味する所は、

道理に通じた「叡智」であり、

単なる知識については、価値の置かれるものではありませんでした。

 武士道の柱となる要素は、

論語で三徳と呼ばれる「智」「仁」「勇」であり、

つまるところ、行動に落とし込まれてこそ意味あるものとなるのです。

その為、

実践に必要な事は除いて、単なる学問に時間を費やすことはありませんでした。

 宗教的な内容については、お坊さんや神官に一任されましたが

それでさえ、

教義が人間を救うのではなく、人間が教義を正当化している現実を

侍たちは見抜き、

自らを勇気付けるに於いてのみ、価値が置かれていた程

徹底したものでありました。

侍にとって、学問は、暇つぶしの娯楽レベルのものに過ぎず、

哲学は、軍事や政治の問題解決の為の判断材料としてや、

自身の品格形成、その実践の為のものとして、サブ的に扱われていたのです。

剣道、弓道、柔道、乗馬、槍、戦略、道徳、書道、歴史研究、文学

などが主に、侍に教育されていた項目でした。

これらの内、柔道と書道についてですが、

柔道は、筋力に頼るのではなく、

人体解剖学を応用したもので、

その目的は、相手を殺す事ではなく、制圧する事に留まる

平和的なものでありました。

また、書道は、

文書記録という域を超え、芸術的性質を備えるものであり、

また、文字の綺麗さはその人の品性を表す

ものとされていたのがあり、

侍の間では重要視されるものでありました。

 

 

 ◆ 武士の信条・知恵を妨げる「富み」

 

 軍事戦略上欠かせない学問である筈にも関わらず、

侍教育に於いては外されていたのが「数学」でした。

これは、

損得勘定の一切と決別し、

豊かさよりも、貧しさの中に見る美学を誇る性質に起因するものです。

名を汚す利益を得るくらいであれば、

損失を選ぶというのが、侍精神でした。

政治家が金銭の欲望を断ち、武将が死を恐れなくなったとき、

世の中に真の平和がやって来ることを、中国の将軍が説いていた様に、

武士道では、金銭欲は腐敗の始まりと見做され、

金儲け、貯金を卑しみ、

家庭経済の話題を出す事を下品とし、

お金の価値を知らない子供は育ちが良いと見る文化がありました。

テモテへの第一の手紙6章10節

「金銭を愛することは、すべての悪の根である。

 ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、

 多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」

という格言に通じるものです。

 

 軍事的な面でどうしても必要な計算などは、

下級武士や、僧侶に任されていました。

軍を扱うに於いて、軍資金の運用の重要性は誰しもが知っていましたが、

それでも、

その事を「徳」という次元に高めるという事にはならなかったのです。

 しかしながら、

「倹約」という徳は重要視されました。

これは、贅沢な生活が人間を堕落させるとして、

多くの藩で、倹約令が施行される程、

究極までに生活を簡素化させる事が求められたのです。

古代ローマに於いては、まさにその役人の贅沢が、

国家の腐敗をもたらしたと言っても過言でないのです。

我が国日本に於いて、特権階級にあった侍が、

長きに亘って、海外に見る極限の腐敗を免れたのは、

先述した、お金を卑しむ文化によるものでした。

しかし、今日、

この観念が失われたことによって、

あまりにも金権腐敗政治が蔓延してしまっている現状があります。

 

 

 ◆ お金に換えられない教師の教え

 

 ここまでお話したように、

侍の教育に於いて最も重要視されたのは、

頭でっかちになる机上の勉強ではなく、

判断力と、実務処理能力でした。

それら実践に直結する教えを施す、卓越した「教師」は、

本質的には、

知的な事ではなく、品性を醸成し、

頭ではなく、魂を育てる事こそが使命でありました。

産むのは親であり、人たらしめるのは教師である、という志を持つ教師たちは、

自然と神聖な存在となったのでした。

「父母は天地の如く、師と君は日月の如し」

と言われたように、

時には実親以上の存在であったのが教師だったのです。

 昨今、如何なるやり取りも

お金無しには行われなくなりつつある流れがありますが、

これ程にまで価値が高められた教師の教えなど、

精神的な価値に係るものに対して、

実体的なお金を支払って返す事は、失礼とされていたのです。

それは、価値がないからではなく、

お金に換えられない価値があったからなのです。

魂は計測出来ません。

その様なものに外面的な価値であるお金を当てはめる事は出来ないのです。

勿論、

教師に金品を贈る事はありましたが、

これはあくまでも、教えに対する代価ではなく、

「捧げもの」としての意義を持つものでした。

 

 武士道精神に根差す教師たちは、

まさしく、鍛錬に次ぐ鍛錬によって極まった精神力、

如何なる逆境にも屈しない「克己心」を持つ、

学問の体現者でありました。

この克己心こそ、

侍教育に於ける中心軸と言えるものだったのです。

 

 


 

Copyright © 2022 日本の未来を考える会

本書はベルヌ条約により保護される著作物です


Ⓒ 2008-2023 日本の未来を考える会

 

日本の未来を考える会 北海道旭川事務局

メール:nmkinformation@gmail.com

FAX:0166-30-1391

 

当会は全国の各種企業法人個人からなる民間の団体です

政党、各種カルト宗教団体等との関係はありません

【安全保障について】日米地位協定・統一指揮権密約などで、自衛隊は米軍の指揮下にあり、日本に主権はありません。 また、日米安保(二国間条約)より上位の国連憲章:敵国条項によって有事の際、日本はアメリカに守られる保証もない現状があります。 竹島侵略の際の韓国軍の指揮権はアメリカにあったという情報も出ています。 安全保障を完全とする為には、根本的な解決が必要であり、まずは「自給自立国家日本」を立てる為の突破口となる「モデル都市」の実現です。