朗読音声<4分31秒>

第16章 武士道が歴史をかけて到達した所とは

 

 ◆ 武士道が培ってきた、大きな力

 

 もしも、武士道精神が、

西洋の荒波にもまれ、いとも簡単に消え去ってしまう様であれば、

それは、貧弱な倫理体系であったと言わざるを得ません。

 アメリカの思想家エマソン氏は、

「各国の有力者を引き寄せ、互いに協調する要素とは、

 一人ひとりが秘密結社(フリーメイソン)のような目に見える印を失っても、

 直ちにそれだと判別できる、明確なものである」

と言いました。

つまり、生き物には、

鳥で言えばくちばし、魚ならヒレ、ライオンならたてがみの様な、

その種にとって、欠く事の出来ない、主軸となる要素があるものですが、

日本人にこれを当てはめれば、武士道精神と言える事でしょう。

これだけ長きに亘って培われてきた日本人の精神を

簡単に消滅させる事などできません。

 

 ここまで、武士道の歴史について見てきましたが、

時折、その要となる徳目について、

西洋文化として主にイエスの教えとの比較を行ってきました。

ここから分かる事は、

武士道精神の特質や美点は、武士道の専売特許では無く、

万民共通の、この宇宙を貫く一つの真理に

限りなく近づいたものであるという事です。

 

 

 ◆ 日本を近代化に導いた武士道

 

 武士道は理念体系として形は整えていないながらも、

日本人一人ひとりの心の中に根付き、その原動力となりました。

吉田松陰が処刑前夜に歌った

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」こそ、

日本人の心の叫びと言えるものです。

 

 一部の宣教師は、

新生日本の建設は、自らの布教活動によるものであると主張していますが、

私もクリスチャンなので、彼らの働きは評価しますが、

裏付けのない根拠で、自分の栄光を振りかざすのは、

そもそも聖書の教えに反するものです。

佐久間象山や、西郷隆盛、大久保利通、

木戸孝允、伊藤博文、大隈重信、板垣退助らの伝記を読めば、

外国貿易の解放、西洋学問や技術の習得、王政復古の大号令などで様変わりした

この激動の日本をけん引している一人ひとりの行動原理は、

武士道精神以外に無い事は明白です。

勿論、一人ひとりの中にある原動力の性質はそれぞれでしょうが、

その内で最大の物は何かといえば、

私は迷うことなく武士道を挙げます。

単なる西洋の模倣や、金銭欲によるものではありませんでした。

メレディスタウンセンド氏は

日本人の原動力は、その内なる力にあった事を見抜いて、

自身の著書で、

「我々はよく、欧米が如何に日本に影響を及ぼしたかの論説を聞かされるが、

 彼らの発展はあくまでも自発的なものである。

 欧米人が彼らに教えたのではなく、

 日本人が自ら欧米の政治や軍事を学んだのだ。

 そしてこれが、現時点では大きな成功を収めている。

 これは影響を受けたという表現は相応しくない。

 輸入である。

 イギリスが中国の茶葉を買ったからと言って、

 中国の影響を受けている事にならないのと同じだ。」

と語っています。

もし、タウンセンド氏が日本についてより深く研究していれば、

その源泉は「武士道」であった事にすぐ気づいた事でしょう。

 欧米諸国から、劣等国と扱われる事に耐えられなかった名誉心、

これが最も大きなものであり、

それが原点となって、殖産興業という思想が我が国日本に於いて生まれたのです。

 

 

 ◆ 小柄な日本人が持つ不屈の精神・忍耐力

 

 欧米が日本人をバカにして、「小柄なジャップ」と呼びますが、

その小柄な日本人たちの忍耐力や不屈の精神、勇敢さは、

日清戦争で十二分に証明された事でしょう。

日本人以上に愛国的で忠実な国民は、世界のどこにも居ません。

 

 しかし、ここで

武士道精神により生み出された日本人の国民性の欠点にも触れなければ

公平なものとは言えないでしょう。

それは、「名誉心の暴走」と言えます。

原因は、武士道教育に於いて、

思考に関する教育が疎かにされてきた事にあるでしょう。

 日本で旅をしていると、

粗末な見た目で、本や杖を持ち、世俗を絶った風貌で歩く

若者たちの姿を見かける事があるかもしれません。

彼らにとっては、

地球はあまりに狭いもので、いつも独自の世界観に浸り、

大志に燃えながらありとあらゆる知識を渇望しているのです。

その様な事を考えるあまり、一切の世俗や贅沢は彼らにとって

足かせとなるのでした。

彼らは、忠義心と愛国心の権化とも言うべき存在で、

日本国家の名誉の守り人とさえ自負しています。

彼らの良い所も悪い所も、

武士道の残滓と言えるでしょう。

 

 

 ◆ 武士道が持つ、歴史の重み

 

 日本人の心情は、武士道により醸成され、

何か説得される事について、あまり理屈が通っていなくても、

古くから継承された観念であるとなれば、

それに呼応してしまう性質があり、

無意識的な、無言の感化力とも言うべきものがあります。

中身がたとえ同じであったとしても、

その単語が、古くから使われるものであれば、趣を感じ、

新しい言葉は何かと通じないものなのです。

 あるクリスチャンが、その道から外れ堕落した時、

牧師が、イエスに対する忠誠、その初心を忘れたかと問うた事で、

即座に回心したという出来事がありました。

「忠誠」という一言がその日本人を回心へと導いたのです。

 また、新任の教師にボイコットする生徒たちに対し、

校長先生が、

君たちの弱者を虐める行為は「男らしくない」と言ったとたんに、

素直に解散した、という事があったそうでした。

武士道精神に基づく、自身の男らしさを問われれば、

教師の良し悪しなどは、

彼らにとって小さな問題になってしまったのです。

 

 キリスト教の伝導が、我が国日本に於いてなかなか広がらないのは、

これについての認識が、宣教師たちに不足していたからと言えるでしょう。

彼らに言わせれば、

異教徒の功績など取るに足らない。関心もない。という事でしょうが、

その様な姿勢では何も始まりません。

私は、文字も文明も歴史もないアフリカの原住民生活も、

神の手によって描かれた歴史の1ページであると確信しています。

すでに絶滅して、この世に無い文明の遺跡も、

賢明な歴史家にとっては、解読すべき古文書となるのです。

 特権思想に浸る宣教師たちは、

各国の歴史を無視し、キリスト教を新たな宗教として主張しますが、

彼らが主張する、最早キリスト教と言えないその宗教は、

私に言わせれば、カビの生えた古臭い話なのです。

各国の歴史に寄り添い、馴染みのある言葉で、イエスの教えそのものを説けば、

万民は自ずとそれを受け入れる事が出来ます。

そうしてこそ、イエスの教えは、人々の心に宿る事が出来るのです。

つまり、

本来のイエスの教え、創造主の恩恵とは全く別物の、

アングロサクソンの気まぐれと空想で作られた宗教、キリスト教は、

武士道という幹に接ぎ木するに足らない、

貧弱な芽と言わざるを得ないという事です。

宣教師たちは、

西洋の理想と、東洋の腐敗を比較し、公平さを忘れ、独善主義に陥りました。

布教とは果たして、

その地を荒地にし、無の状態にしてから種を撒き、

新たな世界を作るものなのでしょうか?

ハワイでは、その所業を行い、

成功を収めたと主張する彼らでしょうが、

少なからず日本に於いては、不可能でしょう。

それに、

イエスがもし、志半ばで絶たれる事無く、

ご自身でこの地上に神の国を立てる事に挑戦していたなら、

最大限に過去の蓄積を活かす筈で、

決して白人たちの様なやり方は取らない事でしょう。

 武士道の未来、私たちの未来を考えるに於いて重要な事は、

これら腐敗したクリスチャンが回心した先に行きつくであろう、

イエスの教えの根本原理である「愛」こそ

最終的な一大勢力になるであろう、という事です。

 

 果たして、

武士道はこのまま廃れて消えてしまうのでしょうか。

その予兆が至る所で散見されます。

否、予兆どころか、決して侮れない我欲主義勢力が

武士道精神の存続を脅かしているのです。

 

 


 

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