朗読音声<7分55秒>

第17章 日本人は武士道精神を復活し、ヘブライズムの道を進まなければならない

 

 ◆ 武士道は消滅してしまうのか…

 

 歴史は繰り返すと言われますが、

ヨーロッパの騎士道と、日本の武士道ほど、

歴史的に比較できるものはなかなか無いのを見たら、

武士道も、騎士道と同じように消え去ってしまうのでしょうか。

騎士道が滅亡するに至った原因は、かなり特殊であった為

そのまま日本に当てはまるものでは無いでしょうが、

武士道は今、それを遥かに超える大きな脅威に晒されています。

 騎士道は、封建制の終わりと共に、

キリスト教に吸収されましたが、

武士道には、それを庇護出来る大きな宗教が存在しません。

その為、母体である封建制が無くなれば、

まるで孤児の様に自力で生きなければならなくなります。

現代の日本軍が、その母体になり得るという見方もありますが、

現代流の戦争は、武士道を成長させ続けられるものではないでしょう。

神道も、諸外国に見る様に、社会の流れに迎合し、

快楽主義的な道徳論を与えるに過ぎないものとなってしまっています。

特に、一切の特権階級をも認めない民主主義体制や、

一般教育の普及、技術発展、

そこから生み出される贅沢な都市生活は、

武士道にとってさらに生き残り辛い環境と言えます。

名誉を礎とし、名誉によって守られてきた名誉国家、

スパルタや古代ローマなどが消え去ったように、

日本の武士道も、永遠の存在とはなれないのでしょうか。

 

 

 ◆ 日本人が本能を開花すれば、侍に生まれ変わる

 

 人間はだれしも「愛」という本能を兼ね備えています。

過去の義人聖人たちは、表現の方法は違えど、

結論としてこの「愛」の重要性を説いています。

しかし、

武士道は目前の現実に惑わされ、

この「愛」という本能をある面ないがしろにしてきました。

 社会の発展により、生活の幅が向上した今、

侍の使命観よりも、更に大きな社会に対する使命が求められています。

この人生観の広がりによって、

普遍的真理である「愛」に目が向けられるようになり、

その道徳観念は増大され、

武士道がけん引してきた「臣民教育」から、

万民平等の「市民教育」へと社会の流れは変わりました。

そしてこれは、

「人間そのものを如何に捉えるかという教育」に成長していく事でしょう。

この、人間が如何に在るべきかを突き詰めていけば、

どれだけ世界に暗雲が立ち込める状況になっても、

最終的に、

ヨハネの黙示録21章7節

「勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。

 わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。」

という預言が成就される事になるでしょう。

 

 武士道の終焉は、

1871年の廃藩置県が合図だったと言えます。

この5年後の廃刀令によって、侍を捨てた結果、

日本は、

「理屈ばかりこねる政治家、金儲け主義、策略家」にとって生きやすい新時代を

図らずも迎える事になってしまいました。

 さて、

日清戦争の勝因は、村田銃とクルップ砲だと一般的には言われていますが、

それならば、

旧式の銃しか持たないフィリピン人に、スペイン軍が勝てなかった事について

説明が付きません。

最高級のピアノがあっても、

名手が居なければ、素敵な音楽を奏でる事が出来ないように、

要となるものは「人間そのもの」であり、

その精神力に帰結するのです。

日本軍が、鴨緑江、朝鮮、満州で勝利を勝ち取れたのは、

私たちの祖先の、武士道の霊魂があったからに他ならないのです。

これら霊魂まで消え去る事はありません。

見る目があれば、その事がしっかりと見える筈です。

 

 今日、私たち日本人が預かっている武士道精神は、

先祖たちのものであり、子孫たちのものであり、

これは、誰にも奪う事の出来ない、人類永遠の財産なのです。

我々の使命は、先人から受け継いだ武士道精神を一滴たりとも零さず、

未来に受け継いでいく事、

そして、未来に生きる人々の使命は、

受け継がれた武士道精神を、人生に具体的に応用展開していく事なのです。

 

 

 ◆ 武士道の次を担う哲学とは・・・

 

 封建制と共に消えた武士道精神ですが、

それに代わる新たな哲学観念が、不死鳥の如く立ち上がり、

新生日本の未来をけん引するだろうと言われてきました。

半世紀が経過した現時点では、

その予言は証明されつつあると見れるでしょう。

遠くない未来に、この予言は現実のものになると確信します。

 

 不死鳥とは、別のところから来るものではなく、

自分の灰から蘇生するものです。

ルカによる福音書17章21節

「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」

この言葉は、神国日本に於いて成就すべきものです。

 しかし、

武士道の中に開花した、神の国の種は、

後世に残すべき実が熟す前に、その時代が終わろうとしています。

にも拘らず、私たちは今のところ、

武士道に代わる哲学観念を見つけられてはいません。

 

 昨今、魂を半分失ったかのような、

「損得哲学」が人気を博していますが、

これら利益主義や、唯物観念に対抗し得る強力な哲学は、

今や、イエスの教えだけと言えるでしょう。

 武士道は今、消えかかっているランプの光のようですが、

イエスは、

「彼が正義に勝ちを得させる時まで 

 ・・・ 煙っている燈心を消すこともない。(マタイ12:20)」と宣言されました。

旧約聖書に登場する、イエス登場までの数々の預言者の様に、

武士道は、武家階級に重きを置きながらも、

国民全体にまでその影響を及ぼしました。

ユダヤ民族がその歴史を経て得たイエスの教えは、

全体としてではなく、個々人がそれぞれ神を信奉する観念でありました。

今、民主化で個人主義が広まりつつある日本は、

そのイエスの教えの拡大に、拍車がかかっている状況だと言えるでしょう。

 

 ニーチェの、自己中心的な道徳観念は、

ある面で、武士道に近い性質があります。

ニーチェ哲学は、その病的な歪みにより、

イエスの教えについて、自己否定的な奴隷哲学と断罪するものとなっています。

私は、

イエスの教えと、唯物論や利益主義は、

近い将来、

人間主義のヘレニズム文明と、

神中心主義のヘブライズム文明という

古くから続く二大対立構造に帰結するのではないかと考えています。

各種の道徳律は、

このどちらかに吸収され、そこで生き残りが図られる事になるでしょう。

 

 ここで問題なのは、

日本に於ける武士道精神は、

人間主義と、神中心主義のどちらに付くのか、という事です。

 

 しかし、それ以前に、

武士道には、教義も経典もありませんから、

それ故に、桜の花びらの様に儚く散ってしまうだけで

日本人は終わるのでしょうか…

 

 古代ギリシャから来る禁欲主義が、

形式としては消え去りましたが、

その中身まで完全には滅び去っていません。

同じように、

武士道は、独立した道徳体系としては、

封建制の崩壊と共に無くなってしまう事でしょうが、

その中身まで、日本人の心から完全に消え去ってしまうとは思えません。

桜の花びらの様に四方の風に吹き散らされても、

その香りで人々を豊かにしてくれる事でしょう。

何代か後、武士道の習慣や精神が消え、名前すら忘れ去られたとしても、

立ち止まって遠くを眺めれば、

一陣の風に乗って、日本の武士道精神は甦る筈です。

詩人クエーカー氏の美しい言葉と共に・・・

 

何処からかやってきた香りに、

旅人は足を止め、その心は豊かになる。

その天空の祝福を受け、喜びに満ちる。

 

 


 

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