朗読音声<4分3秒>

第3章「義」人としての正しさ

 

 ◆ 人の道、義の精神

 

「義」は、武士道の中でも最も厳格なものであり、

侍たちにとって、卑劣や不正ほど嫌われるものはありませんでした。

この観念は、範囲があまりに狭く、ある面間違いかもしれません。

林子平は、この義について、

死ぬべき時は死に、討つべき時は打つ「決断する力」であるとし、

また、真木和泉守は、

「武士が最も大切にする考え方は、節義である。

 節義は背骨に当たり、これが無ければ体は成り立たない。

 その為、人は、あらゆる才能があったとしても、

 この節義が無ければ、武士ではない。

 節義に比べれば、社交辞令など取るに足らないものだ。」

と語っています。

これらの教えは、

自らを「義の道」とし、

「われに従えば、失われたものを見いだすことができるだろう。」

と語ったイエスの教えに導いてくれるものです。

要するに、

この「義」という考え方は、

失われた神の楽園を取り戻すために通るべき、

細く長い道である、という事です。

 

 策略が戦略として、嘘が戦術として正当化される戦乱の中に於いても、

正しさ、正直さ、素直さを追求するこの様な「武徳」の精神は、

常に日本人の心の中で賛美されるものでした。

 時を経て、封建制末期、戦いの場面が少なくなると、

侍の生活にも一定の余裕が生まれてきて、

芸事などの遊びが流行るようになってしまいました。

その様な退廃に向かう世に於いても、「義士」という概念は、

人々の心の中で、最高の地位を占め続けていたのです。

あの有名な「忠臣蔵」の話に登場する、「四十七人の義士」を見てもわかる事と思います。

 

 

 ◆ 義理という概念の由来

 

 「義」は、次項で述べる「勇」と

まるで双子の兄弟の様な関係性にあります。

どちらも「武徳」に集約される内容です。

勇の前に、義の派生語と呼ばれる「義理」についてお話ししたいと思います。

字義的には「正義の道理」です。

これは、

親や上司、部下、社会に対する“正義の道理”に基づいて生まれる感情ですが、

いつしかその内実は「義務」へと変貌し、

そして最終的には「世論が求める義務」を意味するものへとなってしまいました。

 私たちの行動力の源泉は「愛」ですが、

その愛が生じない場合、行動を強いる為の権威として

「義理」が用いられたのです。

これは、個人的感情が結びつかない場合に於いても、

人としての理性、正義の道理に基づくが故に、

たとえ心の負担になってもそれを乗り越え、

正しい道に人を導く事を可能にした、という点では

非常に良い働きをしたと言えます。

 

 しかしながら、

義理とは本来、二次的なものであり、

行動の動機づけの要素としては、

唯一の律法である、イエスが説いた「愛の教え」には劣るものです。

愛は神から始まるものですが、

義理とは、人間関係による産物だからです。

 本来は、愛情の発露であるべき行動の動機が、

義理という形態をとった事で強制力を持った事によって、

人間社会が作った秩序に、正義が屈服させられる場面が

局所的に発生してしまいました。

極端な例を挙げると、

「母が長男を救うために、他の兄弟を犠牲にする事」

「父が遊ぶ金を稼ぐために、娘が体を売る事」などの状況です。

 義理は本来“正義の道理”として始まったにも関わらず、

人間社会に於ける我欲主義者の詭弁に弄ばれ、

堕落し、その翼の中にはありとあらゆる偽善を隠し持つ言葉へ変貌し、

恐るべき程多くの誤用を生んでしまっている現実が散見されます。

 もし武士道に、

正しい勇気、それを貫く精神力を意味する「勇」の要素が無ければ、

この「義理」は、

登場して即座に、徳としての機能を有する間もなく、

卑怯者の詭弁として利用されていた事でしょう。

 

 


 

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