朗読音声<2分45秒>

第4章「勇」逆境に動じない勇気

 

 ◆ 勇とは正しきことを為すこと

 

孔子が、「義を見てせざるは勇なきなり」と言いましたが、

これは、「勇とは正しきことを為すこと」である事を表しています。

まさしくその通りであります。

危険、命を顧みず、自ら死にに行く事が時折、勇気と見られがちですが、

シェークスピアがそれについて、「勇気の私生児」と括ったように、

武士道に於いても「犬死」とされ、

侍の価値観でも決して、称賛されるものではありませんでした。

徳川光圀は、

「戦場に身を投げ、ただ死ぬ事は簡単であり、低俗な者にも出来る事だ。

 生きるべき時には生き、ここぞという時に死ぬ事が、

 真の勇気と言えるものである。」

プラトンも

「勇気とは、恐れるべき事と、そうでないものを見分ける事である。」

と言っており、

これは世界共通の認識であると言えます。

ヨーロッパで「道徳的勇気」と「肉体的勇気」が区別されていた様に、

侍の子供たちも、日ごろから「大義の勇」と「匹夫の勇」の話をよく聞かされていたものでした。

剛胆、不屈、勇敢、大胆、勇気という考え方は、子供心に大変響くものであり、

軍記物語の読み聞かせや、

兄弟同士でその考え方、行動の在り方を比べられるなどして

親からよく鍛えられたものです。

子供が怪我をして泣いたときには、母は、

「この程度で泣いては臆病者です。

 戦場で腕を失ったらどうするのですか?

 切腹を命じられたら、あなたはどうするのですか?」と

励ましながらも常に勇気づけるのが、日常の風景でした。

『先代萩』に出る幼い主人が、

ひもじさに耐えながら使用人に

「子スズメは巣の中で口を開いて、親スズメから餌をもらう。

 しかし、侍は空腹でも、それをひもじく思ってはならないのだ!」と言う場面は

日本人の間では有名な話です。

ライオンが崖から子を突き落とす様に、

空腹にさせられたり、

寒気にさらされたり、

まだ幼いのに、面識のない所へお遣いに行かせたり、

冬の早朝に素足で師匠の元に通わせ、朝食前の素読をさせたり、

晒し首をあえて見に行かせたり、

夜中にその首に自分が見に行ったことを証す印をつけさせたりと、

兎に角、文字通り過酷な厳しさで徹底的に鍛えていました。

このスパルタ形式とも言える教育法で、度胸をつけさせるのは、

現代の人々にとって、恐怖と疑問を持つものかもしれません。

これでは、優しい心が培われないのではないかと。

そこで、

武士道が、この優しさについてどのような認識を持っていたのかを、

次項で述べたいと思います。

 

 


 

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