朗読音声<7分39秒>

第9章「忠義」尽くす心

 

 ◆ 日本人独特の「忠義」

 

 これまでご紹介した数々の徳目は、

様々な階級や職業の人々にも通じる内容ですが、

忠義は、侍たち独特のものと言えるものです。

また、海外にも、忠誠心にまつわる物語は数多くありますが、

この忠誠心を、徳目の内で最高位においているのは、

武士道の特徴であると言えるでしょう。

アメリカの教育者、グリフィスは、

「中国では孔子の教えにより、親孝行が第一に置かれたが、

 日本に於いては、忠義がその位置に置かれた。」

と言いましたが、まさしくその通りです。

 

 日本人独特の、主君に対する「忠義」の観念は、

万民平等を唱えるアメリカをはじめとする

海外の人々にとって異様に感じられる事があるかもしれません。

しかしこれは、

日本の忠義観念が間違っているからではなく、

世界各国に於いては、忠義は最早忘れ去られているからか、

あるいは、日本の忠義観念が

どの国も到達する事の出来なかった次元にまで発展しているからなのです。

 かなり衝撃的な内容ではありますが、

日本人の忠義の在り方を示す一つの実話をご紹介したいと思います。

 

 

 ◆ 自分の子供の犠牲さえ厭わない忠義の精神

 

 菅原伝授手習鑑のお話です。

菅原道真は、政敵に目を付けられ、京を追われるのみならず、

一族をも根絶やしにされるまで追い込まれていました。

敵の家来は、道真の子供を捜索し、

遂に、

かくまわれていた武部源蔵の寺子屋にたどり着くのです。

政敵は、かくまっていた源蔵に、

その道真の子の首を、期日にまで納めるよう命令したのです。

源蔵が、なんとか身代わりとなり得る子供を探していると、

丁度、その寺子屋に、

道真の子と瓜二つの子供が入門してきたのです。

源蔵は、ひそかにその新入生を、身代わりにする事を決心しますが、

実は、その新入生と母親は、

その事を分かって、敢えて身代わりになるために入門したのでありました。

母親の父親は、菅原道真の御恩を受けていました。

夫の都合で、その後、別の主に仕える身となっていたのですが、

道真公を裏切る事は出来なかったのです。

そして、更に残酷な事に、

その新入生の父親は、道真公の家族と面識があった事から、

道真の子供の首実検の役割を任されてしまったのです。

いよいよ引き渡しの当日、

源蔵は、もしすり替えがばれてしまったら、

相手に斬りかかるか自害するつもりで、刀の柄に手をかけていました。

誰もが命がけでした。

余りにも辛い役目を終えた父親は、

家に帰り、待っていた妻に、

「わが子は立派に、主君のお役に立ったぞ!」

と叫んだのです。

 

 他人の子を救うために、

罪のないわが子を犠牲にするとは、なんと残酷かと

読者の皆様の叫びが聞こえるようです。

 しかし、この家庭は皆、自らの意志で

忠義を最優先し、犠牲の道を歩んだのです。

これは、

鳩を割き忘れた失敗で失った、神との信頼関係を回復する為に

神から指示されて行われた

アブラハムによる、

息子イサクを燔祭に捧げた事に匹敵する中身を持つものです。

(※イサク燔祭では、

「あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、

あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」

の言葉と共に、殺す直前に神に止められた。)

違いと言えば、

忠義の対象が、

目に見えない、霊界の神に対してであったか、

目に見える、地上の主君に対してであったかだけですが、

これ以上の私の説教は差し控えたいと思います。

 

 

 ◆ 公的な事を最優先する武士道

 

 欧米に於ける個人主義観念は、

家族の中でも、

父、母、子、それぞれ別々の権利や利害を認めるものであり、

それが故に、家族内でも互いに対して背負う責任が小さいものとなっています。

 しかし、

武士道を基軸として来た我が国日本では、

家族とは運命共同体であり、一心同体なのです。

武士道は、

人と人とを、利害などの外面的な要素で引き付けるのではなく

愛を根拠として、確固たる団結を可能としていたのです。

愛する者の為に死ぬ事に、なんら障害はありません。

イエスは、

「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。

 そのようなことは取税人でもするではないか。」

と語っています。

 

 平重盛が、後白河法皇と、父の清盛の軋轢に遭遇し、

「主君に忠義を尽くそうとすれば親に逆らうこととなり孝行できず、

 親に孝行しようとすれば主君に背くことになり不忠となる。」

と胸の内を吐露しました。

心ある神が自らを天へいざない、

純潔と正義が蹂躙される堕落世界から解き放ってくれんとばかりに祈る

重盛の姿が、思い浮かびます。

 多くの人々が、

この重盛と同じ悩みを抱えたものでした。

しかし、日本人は、この様な板挟みの局面に際して、

堅く忠義を選んだのです。

家庭教育も、その方向に傾倒していました。

個人とは、国家の構成要員としてあり、

国あっての個人という考え方があったのです。

ソクラテスは、

先祖代々、国家の下に生まれ、養われ、教育されて来たにも関わらず、

自分は国家に属さないというのか。

という思想を展開しましたが、

これは日本人にとって全く同感な思想なのです。

 政治的な服従、つまり忠義は、

過渡的なものである事は間違いありませんが、

たとえそれが一日限りのものであっても、

「さざれ石の巌となりて」の一節を信じる私たち日本人にとって

その一日はとても長い、貴重な期間であるのです。

 

 日本人は、忠誠の先を別の主君に移すに際しても、

どちらの主君に対しても、誠実さを欠かさないように気を遣っていました。

決して形式上の忠義ではなく、

相手を心の特等席に迎える、心からの忠誠であったからこその文化です。

 一時、

一方に親しみ、もう一方を憎まない、

二人の主人に仕える事は出来るのか否かについて大きな議論が起こりましたが、

マルコによる福音書12章17節

「するとイエスは言われた、

 『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』。

 彼らはイエスに驚嘆した。」

という教えの実践を

日本人は自然体で出来ていたのでした。

ソクラテスは、生活に於いては自分自身の良心に従い、

死に当たっては、国家の意志に殉じたのでした。

国家権力が、人々の生活に於ける良心にまで介入するようになるような事態は、

あってはならないのです。

 

 

 ◆ 良心の奴隷化と、忠誠の違い

 

 武士道の道徳律は、

無節操なゴマスリ、卑屈な追従など、

自分の良心さえも、

気まぐれな主君の命令や、酔狂、娯楽の犠牲にする事については、

正しい事と評価するものではありませんでした。

いわゆる卑怯者として扱われたのです。

 時には、自らの命を棄ててでも、主君が過ちを犯すようであればそれを正す、

自らの血を以て己の主張の正しさを示し、

主君の良心に対して最期の訴えを起こす事は、

侍たちの中ではよくある事でした。

侍にとって、命は手段に過ぎず、

生きる目的は常に、正しき道、理想を追求する事にあり、

これは、全ての侍教育の根本たる思想であったのです。

 

 


 

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