学校で学んだ歴史教育を思いおこしながら、

以下の記事をご覧ください。


「日本は第二次世界大戦で侵略戦争を行いアジア各国に多大な損害を与えた」

 

あなたも、この様なフレーズはどこかで聞いたことがあるかと思います。

これは、日本政府や一般メディアなどの、日本の歴史に対する一般的な見解です。

大勢の日本国民、また、世界の人々もこの見解を持っているでしょう。

 

しかし、これは果たして、真実の歴史なのでしょうか?

今、中国・韓国・北朝鮮は、

「日本は性奴隷の国 野蛮な国であった。

今もそのことを反省せず、再び負の歴史を繰り返そうとしている。」

などと言って海外に猛烈にアピールし、

 

戦後70年以上経った今でも賠償を要求したり、

靖国参拝問題などで内政干渉をし続けています。

戦争は醜いもの。

それには間違いありません。

 

しかし、戦時中の日本は、中国や韓国が言う様に、

本当に、そんなに憎悪の塊だったのでしょうか?

悪一色だったのでしょうか?

 

まず、戦中の日本を客観的に判断して頂ける様、

当時の各国の首脳や要人の証言で日本の戦争を見てみましょう。

 

 

 ◯真珠湾攻撃に関する証言 

そもそも、日本はなぜ欧米を相手に戦争を始める事になってしまったのでしょうか。

 

日本がアメリカと戦争、太平洋戦争を開戦するきっかけは、

日本の真珠湾攻撃であったと言われています。

 

日本の真珠湾攻撃は、

日本がアメリカに対して一方的に行った奇襲攻撃だった。

 

というのが一般的な見解ですが、

それにはこんな背景がありました。

 

この様な証言があります。

 

【ハーバート・フーヴァー 第31代米大統領】

真珠湾は、アメリカがドイツと戦争する為に、

気狂い男(ルーズベルト大統領)が企てた陰謀だった。

ルーズベルトが日本に対して科した経済制裁や、

日本国の近衛総理が9月に提示した平和提案への軽蔑的拒否は、

真珠湾への決定的な前兆だった。

・・・もし、我々が挑発しなかったら、

日本は米国を攻撃しなかっただろう。

 

ここで言われている挑発とは、

アメリカが、ソ連と中国を通して日本を攻撃していた事件

「プロジェクト・フラ」「フライング・タイガース」も意味しています。


 

真珠湾攻撃3か月前の1941年8月10日

ニューファウドランド島での米英間の密約

 

【ウィンストン・チャーチル 英首相】

 

戦後は永久に日本を武装解除して、独立国として認めてはならない。

・・・ その、チャーチル首相からの米国参戦要求に対して ・・・

 

【ルーズベルト 米大統領】

 

如何にしたら日本が先に米国に攻撃を仕掛けるかを

今、思案している所です。

 

・・・ そして、真珠湾攻撃前夜 ・・・

ルーズベルト大統領が娘の前夫カーティス・D・ドールにこう告げた。

 

【ルーズベルト 米大統領】

 

明日、戦争が始まる。

私は戦争を遂行するが、宣戦布告はしない。

 

 

日米開戦は、

日本の真珠湾攻撃が発端ではありません。

 

東条英機首相、山本五十六氏、永野修身氏が述べた様に、

大東亜戦争(太平洋戦争)は、

どこまでも、自存自衛の戦いであった事が分かります。

 

 

< 参考資料[動画×2・画像×7] >




 ◯白人列強・アジア各国 首脳や要人の証言 

日本が欧米諸国と大々的に戦争を

始めざるを得なかった理由は、

欧米各国の首脳の証言により分かりました。

 

それでは今、一部の国から指摘が上がっている

日本のアジア進出についてはどうなのでしょうか?

これについても探ってみましょう。

 

私たちの想像ではなく、

実際にその時代に生きて、国家・世界情勢の渦中に居た

当時の白人列強・アジア各国の首脳や要人の方々の証言をご覧ください。

 

 

【中華民国総統 蒋介石氏】

 

南京には大虐殺などありはしない。

欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録しているはずです。

私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。

松井閣下は冤罪で処刑されたのです。

 

 

【ラージャ・ノンチック マレーシア上院議員】

 

我々は、大日本帝国陸軍を歓喜と共に歓迎しました。

彼らは我々の独立の為に必要なあらゆるものを提供してくれました。

日本軍がマレー半島の市民を虐殺したって?

彼らはマレー人を一人も虐殺していません。

 

 

【バー・モウ ビルマ首相】

 

真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、

1943年8月1日に行われたのであって、

真のビルマ解放者は労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。

約50年前ビルマは三度に渡る対英戦争の結果、その独立を失った。

イギリス側はアジアに対する侵略的野望を以ってこれらの戦争を遂行した。

愛国者は挺身的精神を以って鎮圧する為、捕まったり殺されたりする事を恐れずに戦った。

これら英雄達はビルマ生き残りをかけて戦うが遂には負けてしまった。

ビルマ人は、アジアを一つにまとめアジアを救う指導者をずっと待ち望んでいたが、

遂にその指導者なる大日本帝国がたち上がってくれた。

ビルマ人が我が国に対する最大の貢献をしてくれた日本への感謝を永遠に忘れない事を希望する。

 

 

【タイ王国元首相 ククリックド・プラモード氏 】

 

日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。

日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、

生まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、

一体だれのおかげであるのか。

それは「身を殺して仁をなした」日本というお母さんがあった為である。

 

12月8日(真珠湾攻撃の日)は、

我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。

さらに8月15日(終戦の日)は、

我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。

我々はこの二つの日を忘れてはならない。

 

 

【ブン・トモ インドネシア情報相】

あの戦争は、本当は我々の戦争だった。

我々自身で戦うべき戦争だった。

しかし、我々は日本に全てを背負わせた。

そして、日本はその為にほぼ全滅しかけたのだ。

本当にすまない。

 

 

【オーウェン・ラティモア 蒋介石のアドバイザー】

 

日本が勇敢に最後まで成し遂げたのは、

西洋による植民地支配を終わらせたという事である。

 

 

【ジャワハルラール・ネルー インド初代首相】

 

日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。

だから、我々は、サンフランシスコ講和会議に出席する事を拒否し、

その講和条約に署名する事も拒んだのである。

 

 

【イギリス歴史学者 アーノルド・J・トインビー氏 】

 

第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、

むしろ戦争によって利益を得た国々のために、

偉大なる歴史を残したと言わねばならない。

その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。

日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、

アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、

過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。

イギリス最新鋭の戦艦2隻が日本により撃沈された事は、特別なセンセーションを巻き起こす出来事だった。

それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。

なぜなら、1840年のアヘン戦争以来東アジアにおけるイギリスの力は、

この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。

1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではない事を決定的に示した。

この啓示がアジアの志気に及ぼした恒久的影響は、1967年のベトナムに明らかである。

 

 

【マハティール・ビン・モハマド 第4代マレーシア首相】

もし、

日本が糾弾されるべきと言うなら、

西洋諸国が我々に対して行った、

あの非人間的な支配と搾取は一体どうなるんだ。

 

【パク・チョンヒ 元韓国大統領】

私は極貧の農家の家庭に生まれた為、

学校に行く事は夢みたいな事だった。

両親に私を小学校へ通学させるよう説得してくれたのは、

日本人の役人だった。

そして、私を陸軍大学校へ推薦してくれたのは、

日本人の先生だった。

私が今日ここにいられるのは、

日本が確立してくれた義務教育制度のお蔭であり、

清廉で正直な日本人のお蔭である。

 

【パク・テルジュ 韓国文化研究所】

現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、

そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものでは無かった。

平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。

それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。

日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。

それは、大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。

日露戦争と大東亜戦争 ――― 。

この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、

アジア諸国民の独立をもたらした。

この意義はいくら強調しても強調し過ぎる事は無い。

大東亜戦争で日本は敗れたというが、

敗れたのはむしろイギリスをはじめとする

植民地を持った欧米諸国であった。

彼らはこの戦争によって植民地を全て失ったではないか。

日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。

日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ

"聖なる戦争"であった。

ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、

こんなものはすぐに回復出来たではないか。

二百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、

しかし、彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて

国民尊崇対象となるのである。

 

 

【台湾実業家 許文龍氏 】

 

 戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。

台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したものであり、

日本人が来てまず治安が一挙に良くなり衛生状態も良くなった。

守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。

しかし残念な事に戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら

世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。

謝罪すべきは台湾を統治してきた事ではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。

 

 


 ◯東京裁判に関する証言 

日本が大義を持って、

欧米諸国の植民地政策に歯止めをかける為にアジアに進出し、

アジアの発展各国の独立に多大な貢献をしていたところを

アメリカを中心とする列強諸国が

日本に反感を抱き、日本と戦争を始めた。

これが真の近現代史です。

 

戦後、日本人がこの様な真実に気付かない様にする為に、

GHQによってある工作が行われました。

 

極東国際軍事裁判 東京裁判です。

 

日本人は戦後70年以上経つ今も、

日本国民はこの東京裁判史観から解かれていません。

この東京裁判の真意や内容についての証言をご紹介します。

 

 

 

【ウィリアム・ウェブ裁判長 東京裁判における豪州代表判事】

 

東京裁判は蛮行である。

 

【ダグラス・マッカーサー元帥 連合国軍最高司令官】

  ※東京裁判は国際法でなく、マッカーサー条例で進行しました。

日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。

彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、

その他実に多くの原料が欠如している。

そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、

1千万から1千2百万の失業者(餓死者)が発生するであろうことを彼らは恐れていました。

したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、

大部分が安全保障の必要に迫られてのこと(日本に開戦責任は無い)だったのです。

 

【チャールズ・ウィロビー アメリカ陸軍少尉】

東京裁判は人類史上最悪の偽善だった。

もし、アメリカが日本と同じ立場にいたら、

同じように戦う道を選んだだろう。

日本は自存自衛の為に戦ったのだ。

(チャールズ少尉はこの証言後、

 東京裁判の不当さに抗議し、

 自身の息子の軍隊への入隊を禁じた。)

 

 (インターネット引用記事 終わり)

今、この様な「真実の歴史」は隠され、

日本の未来を担う子供たちは、

学校で「自虐史観」を教え込まれています。

 

自分のおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんは

世界に大きな迷惑をかけた大犯罪者なんだ。

という誤った贖罪意識から、

子供は、勇気と自信、希望を失ってしまっています・・・



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