第1章 武士道
◆ 人々の上に立つ者が持つべき義務感
武士道とは、
他の花々と違い、最も美しい時に散り、人々に感動を与える「桜」と喩える事が出来ます。
これは古く廃れたものではなく、
今なお、私たち日本人の心の中で、力と美の顕現として存在しているものです。
封建制度によって構築された武士道の思想には、具体的に体系化された理念の様なものはありませんが、
明治維新を経て封建制が無くなった今も尚、桜の様にほのかな香りを漂わせ、わが国日本人の倫理観の在り方を示し続けてくれています。
アイルランドの歴史家、ジョンミラー博士のような、立派な学者ですら、
アジアに対する認識不足で、
「東洋には今も昔も、
騎士道に類する制度は一切無かった。」
と著書で断言していますが、
この様な無知は、許されるべきものと思います。
その著書が出たのは、ペリー来航による日本開国以前の事だったからです。
それから10年を経て、
日本の封建制が崩壊しかかっていた頃、
資本論を著したカールマルクスは、封建制の利点を指摘すると同時に、
その封建制の活きた形は最早、日本にしか存在しない。と述べていたのが印象的でした。
この点については、私もカールマルクスの様に、
ヨーロッパの歴史学者や倫理研究者に、日本の武士道精神の研究にもっと注力するよう勧めたいものです。
騎士道:ヨーロッパと、武士道:日本の封建制の比較研究も魅力的ですが、
その深い研究は本書の目的ではありません。
趣旨は、
1)日本の武士道の起源・源流
2)武士道の特性と教訓
3)民衆が武士道から受けた影響
4)その影響がどのように続いていくのか
という点です。
第1番目は簡潔にご紹介するものとします。
でなければ、話が永遠に終わらなくなってしまいます。
第2番目は、多くの方々の興味を引くものと感じますので、少し詳細にご紹介出来ればと思っています。
残りはサブ的に扱っていきたいと思います。
さて、「武士道」とは、
高い身分・武士階級の人々にとっての「掟」といえるものですが、
この言葉にはあまりにも多くのニュアンスが含まれています。
ですから、
今までは、英語でchivalry(騎士道)と表現していましたが、
ここからは原語のbushido(武士道)を用いたいと思います。
どれだけ翻訳に長けた人でも、
国民的な音色を持つ言葉を、ありのまま他国語で表現する事は出来ません。
◆ 武士たちが胸の内に刻んだ掟
武士の世界に於いて、教育と道徳の原理を構築してきたのが武士道であり、
それは、口伝などによって語り継がれてきたものでした。
文章として体系化されなかった事によって逆に、武士たちの胸の内に一層深く刻みこまれ、強い拘束力を持つ掟となったのです。
武士道という倫理体系には、
創始者も、源泉と言えるものもありません。
政治分野に於いては、憲法並みの存在感があった武士道でしたが、
マグナカルタや、人身保護法に該当する様な内容はなく、
武家諸法度を見ても、道徳的・倫理的な内容は僅かしか書かれていません。
時期的には封建制の始まりと同時期に芽生え始めたとは言えますので、
武士道とは、
「封建制の時代に於いて、武士たちの生き様が集約されていき、醸成され、発展した、自然発生的なもの」であると言えるでしょう。
そして、
封建制が多くの糸を織りなすように、複雑な関係が重なって構築されている様に、
武士道も、あらゆる場面に於ける倫理観念が複雑に錯綜しているのです。
日本でも、ヨーロッパと同じように、
封建制の始まりと共に、職業軍人が台頭しました。
侍と呼ばれる存在ですが、
「士農工商」と言われるように、
農業、工業、商業など一般人の上に立つ特権階級にありました。
侍たちは、職業柄、猛々しい性格だった事でしょう。
それら侍たちが、支配階級の一員として、名誉と特権を持つようになると、
統制を取るべく、必然的に、侍の中での共通規範となるものが必要になりました。
医師が、同業者の競争を制限するように、
弁護士が問題を起こした時に、査問会にかけられるように、
侍もまた、
自身の不始末について、最終審判をする基準が必要となったのです。
これが、武士道です。
◆ 侍精神としてあったフェアプレー
ドラマでよく描かれる様な、「弱きものを虐めず、強き者に屈しない」という、純粋な子供染みた心持ち、
これこそが、あらゆる道徳律の基礎と言えるものです。
あらゆる宗教も、究極的には、ここを目指していると言えば言い過ぎでしょうか?
「卑怯者」や「臆病者」という言葉は、
正しい人にとって最も侮辱的なレッテルですが、
若い少年は、この観念と共に人生を歩み始めます。
侍も、これと同様です。
年を重ね、社会に出るようになると、自身の信念を貫き通す為に、
大きな権威や、周りの支持を求めるようになります。
その様な社会の中で、侍たちが道徳的拘束力無しに、物事の問題解決を殺し合いだけに頼っていたとすれば、
侍の生活の中から、「武士道」なる崇高な倫理体系は誕生しなかった事でしょう。
ヨーロッパに於いて、武士道に該当する騎士道は、
キリスト教を都合よく利用していた傾向にありましたが、
それでも、騎士道に道徳的な徳目を吹き込んだのはキリスト教でした。
フランスの詩人であるラマルティーヌ氏は、
「宗教、戦争、そして栄誉は、
完全なるキリスト教徒の騎士の三つの魂であった」
と述べています。
同様に、日本の武士道に於いても、
いくつかの源となるものがあったと言えるでしょう。
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