第13章 武士の魂「刀」
◆ 刀は、侍の魂
マホメットは、
剣とは、天国をも地獄をも生み出すものであると言いましたが、
この概念に通じるものが武士道精神にはあり、
日本に於いて刀という存在は、
魂と勇気の象徴とされていたものだったのです。
武家に生まれた子供は、
5歳で侍の正装を着る様になり、
七五三の祝いで刀を持たされるのです。
普段持ち歩くのは銀塗りの木刀ですが、
程なくその子供は本物の刀を常に差すようになります。
その試し切りの遊びに明け暮れるのは、当たり前の風景でした。
15歳で元服し、独り立ちすると、
大人と同じ高級な真剣を与えられ、
それに伴い責任感も増す様になります。
刀と脇差はいつ如何なる時も身に付けており、
護身用に夜でも枕元に備えていました。
刀に対して、まるで友人の様に愛称をつける事もありました。
その様にして、侍と刀の関係性が深まっていくにつれて、
刀は崇拝対象にまで引き上げられる様になったのです。
遥か昔には、コーカサス地域のスキタイ人が、
偃月刀を崇拝して、生贄まで捧げていた事がありました。
同じように日本の神社や家庭には、
尊崇対象として刀が秘蔵されるものであり、
いくらでもある小刀にさえも一定の敬意が表される文化が根付いたのです。
その為、
刀をうっかり足でまたいだだけで、親に怒られる事がよくあったのです。
◆ 日本刀に宿る霊魂
これだけ刀が大切に扱われる様になれば、
その刀を作る職人たちも、その職人魂に火が付きます。
平和な時期になると、
刀はまるで、装飾品の様になっていきました。
そうなるにつれて、刀に対する恐怖感も無くなる様になりましたが、
その様な装飾などはあくまでも、
刀本体と比べれば、おもちゃの様な位置づけにあったのです。
刀の職人は一日を身を清めるところから始まる、
まるで霊感を受けた芸術家のような人々だったのです。
名刀からは、芸術以上の何かを感じるものです。
刀鍛冶たちの霊魂が吹き込まれ、その様な魔力を帯びるようになるものなのかもしれません。
美しさと強靭さを兼ね備えた、極まったデザインは、誰もを魅了します。
◆ 平和こそが、武士道の理想
刀がただの工芸品なら良いのですが、
その武器としての本質がある故に、
身近に刀がある事で、乱用を生み出してしまう事もありました。
しかし、
武士道精神がその様な乱用を許していたかと言えば、
断じてそのような事はないのです。
その様な人は、卑怯者であり、臆病者である、と言われていたのです。
冷静沈着な侍は、
人生に於いて、その刀を殆ど抜くことはありませんでした。
勝海舟は、
刀を持ちながらも布で堅く覆い包み、抜けない様にしていました。
自ら手を下して殺めた相手が、実は罪が無い人かもしれない。
自分自身が暗殺されずに済んだのは、
その様に徹底して、自らの手で人を殺める事が無かったからだ。
という精神を貫き通しました。
これは、
「負けるが勝ち」
「血を流さない勝利こそ至高の勝利である」
という格言に通じる内容であり、
これこそが、武士道の真髄なのです。
しかしながら、
侍たちが、この様な武士道精神の理想についての学びよりも、
日々の稽古や訓練に明け暮れていた現実があった事は、非常に残念な事です。
一方で、
この武士道が、女性にとってはどの様な道徳観念であったのか、
女性への教育や、その家庭・社会的地位について
次項でお話したいと思います。
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